ちんぽとちんこの桶狭間で

大学院生の日常。生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え。

桜花賞・越すもナイト

あまりに大きいうんちから早いものでもう4か月、特にここに書くべくこともない日常を送ってきたのであるが、人生の貴重な思春期を軽音楽をはじめた女子高生の日常鑑賞に費やしてきた経験からするに、このような特筆すべきこともない日常でさえも記すに値しうると思い、ここに記録しておくこととする。

 

午前

 

 一日というのは午前零時から始まる、なんでかは知らんがそうなっているのである。

さて、午前零時の大学院生はというと多くの場合は自己研鑽に励んでいるのである。大学院生というのは多忙である。「人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。」などという偉大な言葉もあるが、大学院生はこの例ではない。というより、今の日本で生きるためなら別に大学院など行かずともよいだろう。ではなぜ大学院に進むのかというと、やはり働きたくないからであろう。そんな「大概の人間」にはなりたくない人間が大学院へ進学し、さらに大文字山の天狗の目に留まった怠惰な人間は博士課程に進学してしまう。偉い人は「社会常識からの逸脱は、一個人の生命を脅かすにとどまらず、社会そのものを危険にさらす」などと言うかもしれないが知ったこっちゃない。「常識なんていうものは、その時の思考停止した大多数からの不可視の圧力である。

 

 おっと、脱線が過ぎてしまった。上述のように大学院生は働かないことに多忙であるからして、日中に自己研鑽の時間をとれない。ウォール街とは違うのだ。したがって、大体の大学生は、この時間を自己研鑽にあてる。目指せシックスパックというやつだ。そののち、就寝する。

 

 起床。午前9時である。大学院生は非常に頭を使う生活をする。日がな一日、猥褻非猥褻隔てなく思考の限りを尽くす大学院生にとって睡眠時間は命も同然、お盆の送り火である。30分の読書ののち、朝食をとる。「食べ物がうまいっていいもんです。生きている証のようなもんです。」歯を磨き、着替えて出発する。もちろんロクに鏡は見ない。わざわざ朝っぱらからジャバザハットを見て一日の出だしを挫いたりはしないのだ。

 

 

 午前10時半くらい、研究室に着く。朝の早い外国人に関心しながら "hi !!!!" 等と外国のネラーに聞かれたら "Japanese Otaku's fucking greeting" なるスレを建てられそうな素っ頓狂な挨拶から一日が始まる。机に座る。まずは情報収集である。新しい論文、ツイッター、学会情報、Twitter、ついっぷる…。大学院生たるもの研究の最先端についていかねばならない。情報は命である。

 

 

 情報収集を一時間ほどしたのち、研究が始まる。大学院生というとやはり「探偵ガリレオ」の湯川学のような生活を送ってると思われるかもしれないが、あんな風に華々しいものではない。まず、景観がダメ、某都大学の立て看板くらいダメダメである。福山雅治は存在しない。福山雅治を京都の伝統的な景観とすれば、我々は京都タワー位浮いている。

 

 

 そんなこんなで午前中は大体研究に費やされる、コンピューターに向かって唸り、喚き、最終的にはキーボードをクラッシュする。阿鼻叫喚の地獄である、餓鬼道の方がよっぽどいい見た目をしている。

 

午後

 

 気づけば時刻は午後2時、お腹がすいた気がするのでご飯を食べる。貧乏な大学院生はだいたい食堂でご飯を食べる。食堂に向かう。世界の女の子の多さに驚く。可愛い女の子は餓鬼道にはいないので気づかないが、人間道にはたくさんの女の子がいる。来世は人間道を目指そうと思いながら、限定メニューの冷やし中華を食す。ぶっちゃけあまりおいしくない。「食べ物がうまいっていいもんです。生きている証のようなもんです。」そんなこんなでなかなかどうしてロッテのような女性には出会わないなどと考えながら、研究室へ戻る。

 

 

おっと、時間がきてしまった。大学院生は忙しいのだった。

大学院生のけいおん!、後篇に続く。