ちんぽとちんこの桶狭間で

大学院生の日常。生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え。

進捗5センチメートル

 さて、そんなこんなで昼食を食べるとセミナーが始まる。

 

 大学院生たるもの、公用語はもちろん英語である。もちろん僕は英検3級所持という圧倒的な肩書からもお分かりのように、英語は得意中の得意である。しかし、それでもやはり英語セミナーは厳しい。まず何よりも何言ってるのかわからんし、第二に何言ってるかわからんし、第三に物理がわからんのか英語がわからんのかわからん。さらに英語なので分からないことを聞けない。
 
 「高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがこの思いつきを、何年かに渡って僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。」とはよく言ったもので、「英語がわかるまで質問はしないでおこう」などと思っていたのだが、気づけば特に質問が思い浮かばないつまらない院生になってしまったものだ。「大切なのは、質問するのをやめないということです。好奇心はそれ自体で存在する根拠があるのです。」と言ったのはアインシュタインであったか。
 
 
 
 そんな「??????????????」な1時間を過ごし、院生はようやく一服着くのである。アフタヌーンティを飲みながら、国家の頭脳たる自覚を持って、高尚な議論を交わしているのだが、その内容をあえてここで述べるなどという野暮なことはするまい。
 結論としては「やはり結婚の仕方がわからない」である。11次元時空やブラックホールやひも理論はわかっても、結婚の仕方は分からないらしい。子曰く「数式で記述する方法がわかれば結婚もできる。」そんなわけあるか。
 
 
 
 
 
さて、建設的な建設の議論を終えると、時刻はすでに17時である。議論と将来への不安とに疲れ、ここいらで散歩へゆく。百万遍から出町柳へ向かう。デルタで水遊びをしている小学生を眺め、「私もあのような純粋無垢な少年期を過ごしたものだ」などと、老人のごとく過去に生きながら、橋の上で一句
 

今日もまた空しかりしと橋の上に
きて立ちどまり落つる日を見る

 
などと呟いてさも湯川秀樹ぶってみたりする。
 
不意にデルタに綺麗な女性がいるのを見かけ、見入ってしまう。
 
 
夕日に映える綺麗な女性がこんなところに一人でいるはずがない。
 
 
何かあったのか?
 
自殺か??
 
 
などと半ば妄想にふけってみる。
すると、もちろん1分としないうちにイケメンが現れて一緒に去ってゆく。
 
俺はまた虚しかりしと橋の上で
独り佇み去る美女を見る
 
美人と一緒にいるだけで男もイケメンな気がしてくるから美女ってすごいよなあ、見てるだけで健康効果があるなあなどと、美女の現代社会に置ける効用を数多挙げながら研究室へ戻る。
 
 
時刻は18時、妄想にふけっているうちに驚くほど時間がたってしまったようだ……
さてさて、研究再開である。ぶっちゃけ4時間前に何してたかなんてロクに覚えてはいないが、思い出しながらエッサらこっさらと球面調和関数をいじり続ける。
 
パラメータをいじくりまわし、より良いフィッティング公式を探す。不意に頭の中で「充分に複雑なものは、ほとんどの可能性を含んでしまうなどという医学部生の声が聞こえる気がするが、「エイやっ」と押し込めて研究を進めるのである。研究につかれたら、作業である論文を書く、「でもね、論文を書くことは研究ではない。」という某先生の言葉を思い出さずにはいられないが、論文を書かないと研究は続けられないのである。
 
 
 
 気づけば22時、帰る時間である。もはや帰宅して風呂に入るだけである。決して、仮面ライダーアマゾンズが面白くて書くのが面倒になった訳ではない。武田玲奈の可愛さに惹かれて書くのが面倒になった訳ではないのである。
 
 
 
 そうして大学院生はまた自己研鑽に励むのである。


追記:ちなみに、進捗の単位はセンチメートルではない。
 
 
 
 

桜花賞・越すもナイト

あまりに大きいうんちから早いものでもう4か月、特にここに書くべくこともない日常を送ってきたのであるが、人生の貴重な思春期を軽音楽をはじめた女子高生の日常鑑賞に費やしてきた経験からするに、このような特筆すべきこともない日常でさえも記すに値しうると思い、ここに記録しておくこととする。

 

午前

 

 一日というのは午前零時から始まる、なんでかは知らんがそうなっているのである。

さて、午前零時の大学院生はというと多くの場合は自己研鑽に励んでいるのである。大学院生というのは多忙である。「人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。」などという偉大な言葉もあるが、大学院生はこの例ではない。というより、今の日本で生きるためなら別に大学院など行かずともよいだろう。ではなぜ大学院に進むのかというと、やはり働きたくないからであろう。そんな「大概の人間」にはなりたくない人間が大学院へ進学し、さらに大文字山の天狗の目に留まった怠惰な人間は博士課程に進学してしまう。偉い人は「社会常識からの逸脱は、一個人の生命を脅かすにとどまらず、社会そのものを危険にさらす」などと言うかもしれないが知ったこっちゃない。「常識なんていうものは、その時の思考停止した大多数からの不可視の圧力である。

 

 おっと、脱線が過ぎてしまった。上述のように大学院生は働かないことに多忙であるからして、日中に自己研鑽の時間をとれない。ウォール街とは違うのだ。したがって、大体の大学生は、この時間を自己研鑽にあてる。目指せシックスパックというやつだ。そののち、就寝する。

 

 起床。午前9時である。大学院生は非常に頭を使う生活をする。日がな一日、猥褻非猥褻隔てなく思考の限りを尽くす大学院生にとって睡眠時間は命も同然、お盆の送り火である。30分の読書ののち、朝食をとる。「食べ物がうまいっていいもんです。生きている証のようなもんです。」歯を磨き、着替えて出発する。もちろんロクに鏡は見ない。わざわざ朝っぱらからジャバザハットを見て一日の出だしを挫いたりはしないのだ。

 

 

 午前10時半くらい、研究室に着く。朝の早い外国人に関心しながら "hi !!!!" 等と外国のネラーに聞かれたら "Japanese Otaku's fucking greeting" なるスレを建てられそうな素っ頓狂な挨拶から一日が始まる。机に座る。まずは情報収集である。新しい論文、ツイッター、学会情報、Twitter、ついっぷる…。大学院生たるもの研究の最先端についていかねばならない。情報は命である。

 

 

 情報収集を一時間ほどしたのち、研究が始まる。大学院生というとやはり「探偵ガリレオ」の湯川学のような生活を送ってると思われるかもしれないが、あんな風に華々しいものではない。まず、景観がダメ、某都大学の立て看板くらいダメダメである。福山雅治は存在しない。福山雅治を京都の伝統的な景観とすれば、我々は京都タワー位浮いている。

 

 

 そんなこんなで午前中は大体研究に費やされる、コンピューターに向かって唸り、喚き、最終的にはキーボードをクラッシュする。阿鼻叫喚の地獄である、餓鬼道の方がよっぽどいい見た目をしている。

 

午後

 

 気づけば時刻は午後2時、お腹がすいた気がするのでご飯を食べる。貧乏な大学院生はだいたい食堂でご飯を食べる。食堂に向かう。世界の女の子の多さに驚く。可愛い女の子は餓鬼道にはいないので気づかないが、人間道にはたくさんの女の子がいる。来世は人間道を目指そうと思いながら、限定メニューの冷やし中華を食す。ぶっちゃけあまりおいしくない。「食べ物がうまいっていいもんです。生きている証のようなもんです。」そんなこんなでなかなかどうしてロッテのような女性には出会わないなどと考えながら、研究室へ戻る。

 

 

おっと、時間がきてしまった。大学院生は忙しいのだった。

大学院生のけいおん!、後篇に続く。

 

秘術革新と特大うんち【閲覧注意】

技術は常に進歩している。

virtual youtuber、Perfumeのライブ、自動運転、VR、自動翻訳、音声入力、便器自動洗浄 etc…

勿論、全ての人々がこれらの技術の恩恵を受けている訳ではなく、技術に追いつけない者、技術を拒絶するもの、多種多様であり、それはそれで良いことなのだろう。


普段技術に埋もれているからこそ、たまにはそういったものがないところで生活してみるのも趣深い。


ゆるキャンである。


少しそういう暮らしをしてみると、物資過剰な日常の中に埋もれた大切なものが見えることがある。


限りなく青い空、何故か惹かれるただの民謡、山道を走る楽しさ、目の前の人々、カラスと書き物机はなぜ似ているか、手書きの文通、めっちゃでっかいうんこ










めっちゃでっかいうんこ








短い人生といえど、たまには無駄な手間をかけることも悪くないのではないだろうか

アルコール臭い空に、歌が聞こえてくるんだ。

聞こえる……

 

 

………

 

歌が…聞こえる……

 

 

一閃の光も赦さぬ空…

 

土煙る荒野…

 

目前では人の形をしていると辛うじて認識できる"モノ"が連なり左右に揺れている…

 

黒い"モノ"が揺れている…

 

ふと、隣を見る、揺れている…

 

黒い"モノ"が揺れている…

 

目を閉じる。

鼻を摘まむ。

 

耳を澄ます。

 

聞こえる。

 

去年は聞こえなかった歌。

 

それは、大地を揺らし、我が身も揺らし、果ては脈動する心臓を加速し、只、死へと向かうこの人生をも加速させる。

 

齢22にもなって、生誕と同等の輝きを得ようとしているのだ。

 

その程度の対価は当然であろう。

……

 

聞こえる……

 

 

………

 

歌が…聞こえる……

 

 

 

 

新生の息吹

 

夜空を裂く叫びは、一丸となり弾丸の如くこだまする。

老衰したかつての若人達が、余生を対価に生誕ともみまごうほどの息吹きをあげる。

 

 

そう、この歌こそが11月なのである。

 

 

 それはほんとうに。夢のような、日々でした

 

 

 

 

人事を尽くして天命を待つ

ー自分の全力をかけ努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、そんな結果になろうとも悔いはないという心境のたとえ。 南宋初期の中国の儒学者である胡寅の『読史管見』に「人事を尽くして天命に聴(まか)す」とあるのに基づく。

故事ことわざ辞典

 

 

人事を尽くして天命を待つ、いい言葉です。

このことわざのキーポイントは、人事を尽くすところですよね。

何もせずに天命を待つのではなく、人事を尽くして、「これだけやったのだから、うまくいかずとも悔いはない」と思えるほどに尽くし、天命を待つと。

 

この悟りの境地に達した者のみが、天命を待つことを許されるのではないでしょうか。

 

 

世の中、いろいろなことに挑戦していく中で、この人事を尽くすということだけは怠らないようにしたいものです。

 

人事を尽くさず天命を待てば、残るのは後悔しかないのでしょう。

 

 

そういえば、この間、性経験のない友人に会ったのですが、「どうしてこうなったものか」と嘆いていました。

ただただよく思い起こしてみると、なんと彼は何の努力もしていなかった。

 

何事もせず、何者にもなろうとせず、連綿と続く月日の潮流に流されて生きて老いて死んでゆく。

 

ただただ、天命を待ち、朽ちるだけの生をこなすことほど、無為なことはないのだろう。

 

なぜベストを尽くさないのか

 

運命はやってくるものではなく、掴み取るものなのだ。

 

汝、ちんちんを尽くして天命を待て!

 

(これが言いたかっただけ)

 

 

 

ノーヘル嬢と雨とブラウスと

今年のノーベル物理学賞が今の分野から出たので少し解説を。(別に賞を取ることが偉いわけではないけれど)

 

今年のノーベル物理学賞重力波の発見に対して贈られました。

2015年の9月14日にブラックホール連星からの重力波観測以降、今ではたしか5つほど見つかってます。

ちなみにアインシュタイン一般相対性理論を発表したのは1915年なのでちょうど100年です。

 

 

そもそも重力波というのは何かというと、重力の波が伝わってくる現象のことです。

 

例えば、静かな池に石を落とすと、波ができて真ん中から外へ向かって伝わってゆきます。この時、池に浮いてる船というのは自分が動くことで波が来たと感じるわけです。

 

この「石を落とすこと」を「ブラックホールの合体」、「船」を「検出器」と考えていただくとよいです。

伝わる波が重力波、重力で時空が伸び縮みする効果です。

 

いやいや、ブラックホールなんて遊戯王仮面ライダー龍騎でしか聞いたことないぞと思われるかもしれません。

 

宇宙にはたくさんの星があります。中には太陽よりずっと重い星も存在します。

この重い中でも特に太陽の30倍以上の恒星というものが、その寿命を終えると、ブラックホールになると考えられています。

 

重い星と言いうのは早く寿命を迎えるので(太く短く、理想の人生)早くブラックホールになります。実はブラックホールというのは1つではなくたくさんあるのです。

 

このブラックホールがどうしが、紐で結ばれた2つのボールのごとくクルクル回っているのがブラックホール連星です。

 

 

さて、ブラックホールのように重いものがぐちゃぐちゃと動くとき、上の池の話で言うと水面がぐちゃぐちゃとかき乱されるわけです。そうすると波ができます。

 

その波を我々は捉えたわけです。

 

そして、その波の形を計算と照らし合わせてみると、太陽の30倍くらいの重さだとわかり、このような天体はブラックホールだとわかったわけです。

 

ポイントは

重力波が実際に見つかったこと。

ブラックホールの存在が確定的になったこと。

ブラックホールが連星を組んでいることが分かったこと。(これが結構難しい)

でしょうか。

 

ちなみに17年の8月17日には中性子星というブラックホールより軽い星からの重力波も観測されました。

中性子星というのは中性子でできた星です。

元素合成、強い相互作用γ線バーストといった天体現象等の様々な分野の研究対象ですので、これも非常にすごいことなのです。何より、重力波と光の両方で見えたということが非常に面白いのです。

 

たしか2019年からは日本のKAGRAという観測器も動き出します。また、宇宙に観測器を上げようという案もあります。

 

これから非常に面白く、宇宙の神秘のベールを剥ぎうる分野ですので、皆さん機会があれば調べてみてください。